プロフィール


明治44年 0歳
4月8日 父・増永信三郎と母・増永ゆうの三男、末っ子として東京日本橋蛎殻町に 生まれる。
本名・増永丈夫

大正6年 6歳
ピアノを江沢清太郎先生に習う。大塚の女子師範(現お茶の水女子大)付属の幼稚 園に入園する

大正7年 7歳
慶應義塾幼稚舎に入学する

大正10年 10歳
四年生の時童謡を吹き込む。
北原白秋作・江沢清太郎「はね橋」「はんどん」「カチカチ山の春」「春の野」「山の祭」(文部省推薦)

大正12年 12歳
大震災により生家焼失、六年生。焼けたピアノに代わり、ヴァイオリンを大塚淳先 生に習い始める

昭和4年 18歳
東京音楽学校に入学(現芸大)する

昭和5年 19歳
「幼稚舎の歌」「普通部の歌」制定。吹き込み(非売品)

昭和6年
藤山一郎の芸名で日本コロムビアからデビュー。冬休みを含み一ヵ月の停学処分、 以後在学中、一切のレコード吹込みは止める


昭和20年 34歳 八月 終戦、司令部要員の一人としてジャワ島各地の収容所を転々、辛酸をなめる。
収容所生活中の貢献により第二南遣艦隊司令長官柴田弥一郎中将より個人感状授与 せらる。内地では戦死の噂も流れる


昭和21年 35歳
ジャワ島よりガラン島に送られ、帰国の船を待つ。7月26日 広島県大竹港に着く (葛城)。

昭和24年 38歳
七月 赤坂山王病院入院、肝臓膿瘍手術、九死に一生を得る NHKラジオ体操の復活、テーマソングを歌唱


昭和26年 40歳
NHK紅白歌合戦第1回キャプテンとして出場、以来36回(昭和60年まで)

昭和27年 41歳
日本赤十字特別功労章受章  9月 ウィステリア・アンサンブル発足
10月15日 渋谷名誉駅長(東京鉄道管理局長)委嘱される


昭和29年 43歳
7月31日 コロムビア退社、レコード会社専属に終止符
9月13日 NHK芸能局音楽部に嘱託となる。今週の明星指揮(昭和39年まで)、 NHKオーディション審査等を担当

昭和32年 46歳
11月16日 日本赤十字社創立八十周年記念出演 NHK新ラジオ体操の歌発表(新しい朝が来た)現在も毎朝放送されている


昭和33年 47歳
5月15日 第2回世界赤十字デー祭出演


昭和34年 48歳
社会教育功労賞受賞(文部大臣)


昭和36年 50歳
国際ロータリー東京大会副ソングリーダー(晴海会場)


昭和38年 52歳
6月23日 オリンピック作品発表会 海を越えて、東京五輪音頭
7月16日~8月13日 日独青少年代表団に随行、リュプケ大統領に謁見


昭和40年 54歳
全日本安全運転友の会会長、ボーイスカウト日本連盟参与


昭和41年 55歳
文化功労及身障児福祉に対し沼津名誉市民
紅白歌合戦総合指揮
   
昭和42年 56歳 7月1日 ユニバーシアード大会出演(早稲田大隈講堂)

昭和43年 57歳 12月31日 東京12チャンネルなつかしの歌声(現在まで続く)



昭和44年 58歳
NHK思い出のメロディー第1回以来、連続出演
国際ロータリー年次大会(ハワイ)に出演
 
昭和45年 59歳 日本万博会場(大阪)にてラジオ体操の歌発表会


昭和46年 60歳
還暦を迎える
朝霧高原にてボーイスカウト世界ジャンボリー大会参加


昭和47年 61歳 一月 母ゆう逝去


昭和48年 62歳 11月7日 秋の叙勲にて紫綬褒章受章
秋、優良運転者として緑十字交通栄誉賞(銅)
(社)日本芸能実演家団体協議会副会長



昭和49年 63歳
11月19日 日本レコード大賞特別賞受賞


昭和51年 65歳
11月19日 日本レコード大賞特別賞受賞


昭和52年 66歳 NET ”にっぽんの歌” アメリカ公演参加
(財)日本環境協会理事就任


昭和53年 67歳
五月 国際ロータリー東京大会ソングリーダー(代々木競技場)参加
1,000万人のラジオ体操に参加
日本の心を歌う会名誉会長
7月23日 ラジオ体操の発展に貢献、郵政大臣、日本放送協会より感謝状


昭和54年 68歳 日本経済新聞12月7日~12月31日 私の履歴書連載


昭和55年 69歳
東京都ラジオ体操会連盟副会長
(財)古賀政男音楽文化振興財団評議員、(社)日本歌手協会特別相談役
7月18日~7月28日 アメリカ公演(ホノルル、ロス、サンディエゴ、サンフランシ スコ)
日本レコード大賞特別賞(再度)


昭和56年 70歳
(社)日本自動車連盟(JAF)理事就任
10月27日 日本作詩大賞特別賞


昭和57年 71歳
1月22日 交通栄誉章緑十字章
4月29日 春の叙勲により勲三等瑞宝章を受ける
5月18日 昭和天皇主催の園遊会にてお言葉を賜る


昭和58年 72歳
7月17日 目黒青少年吹奏団名誉団長
音楽鑑賞教育振興会会誌に連載随筆(昭和58年6月~昭和59年7月)


昭和59年 73歳 四月 (社)日本大衆音楽文化協会理事
9月2日 サントリープロアマ団体優勝(井上幸一プロとともに)
10月1日 目黒区名誉区民


昭和60年 74歳 3月18日 長崎市よりこれまでの業績を称え感謝状を受ける
4月14日 目黒不動尊に本居長世生誕百年記念碑を除幕 随筆「歌い続けて」出版


昭和63年 77歳 10月24日 喜寿を祝い「藤山一郎を囲む会」が開かれる、ホテルオークラにて (社)日本歌手協会名誉会長
(財)ボーイスカウト日本連盟相談役


平成元年 78歳 3月31日~8月20日 体調を崩して国立医療センターに入院
3月31日 東京都文化賞受賞


平成2年 79歳 4月8日 傘寿の祝いを迎える


平成4年 81歳
3月16日~5月7日 検査のために国立医療センターへ入院
5月23日 (財)ボーイスカウト日本連盟きじ章受賞
5月28日 国民栄誉賞受賞
6月22日 日本音楽著作権協会特別賞受賞
テレビ東京=年忘れにっぽんの歌 25回連続出演(12月31日)
NHK-TV=紅白歌合戦に43回連続出演(12月31日)


平成5年 82歳
服部良一氏音楽葬のため、増上寺において銀座セレナーデを歌う(3月8日)
5月20日 春の園遊会
6月4日 東京西ロータリークラブ在籍35年で表彰
テレビ朝日=徹子の部屋(2月22日)、母への感謝状(2月25日)
8月21日 午前4時25分 没82歳 従四位に叙せられ、銀杯を受く
(※光人社 藤山一郎自伝 より抜粋)